2009年06月19日

肥料取締法によると、肥料は特殊肥料と

肥料取締法によると、肥料は特殊肥料と普通肥料に分類される。

特殊肥料
堆肥、米糠などのように五感で識別できるもの、肥料分が少なく公定規格を設定できない肥料で、農林水産大臣が指定する。成分表示は必要ない。[1]
普通肥料
特殊肥料以外の肥料

元肥、追肥による分類 [編集]
元肥(もとごえ)
植物の植え付け時、あるいはそれに先立って与える肥料。遅効性で長期間肥効が続く肥料を使う。基肥(きひ、もとごえ)ともいう。
追肥(ついひ)
植物の生育途中に与える肥料。速効性のある肥料を使うことが多いが、樹木のように長期間生育するものについては遅効性で長期間肥効が続く肥料を使うのもよい。

活力剤 [編集]
活力剤、活力液などと呼ばれている物は肥料とは異なり、さらに、異なる2種類の物がある。
物流
剣道
理学療法
建築学
救急医学
東海地方
結膜炎
有機化学
糖尿病
エックス線
湯・群馬
冠婚マナー集
玉露百科
楽しいアロマ
日本の音楽
皮膚と体毛
コーヒーで一息
循環器事典
さくら咲く
こどもの歌

法律上、肥料として販売できない低濃度の肥料。アンプル剤が多い。
生理機能を高める物。水で希釈して使用するものが多い。

その他、肥料もどき(「酵素肥料」など) [編集]
法律上、肥料ではなく、肥料としての効果も認められないが、一般に肥料と誤解されているものとして以下のようなものがある。

「酵素肥料」と一般に言われるもの
第二次世界大戦終戦直後の、極度の肥料不足の時期に、柴田欣志の提唱した酵素農法が全国的に注目を集めた。酵素農法とは、「酵素は皇祖に通ずる」と言う理論(単なる語呂合わせ)に基づき、田畑に酵素を入れた肥料(酵素肥料)を施すことで、皇祖神の恩恵によって土中の栄養価が高まり、収穫高が増えると考える農法(一種の信仰)を言う。柴田欣志とその支持者(信者)たちは、「柴田酵素」[2]を推奨し、これを用いて「コオソ様」と唱えながら農業を行えば、収穫高が2〜10倍増すると称していた。化学の研究者等専門家からは、柴田欣志は「神がかり」と言われて相手にされなかったが、敗戦後の極度の食糧難と社会経済情勢の大混乱を背景に一部の農民からは支持を集め、横浜市など推進する自治体まであった。しかし、1947年に当時の農林省(現在の農林水産省)が行った試験結果によって酵素肥料には効果が全く無いことが明らかとなり、廃れた

2009年06月01日

大衆小説

純文学に対して、芸術性よりも娯楽性・商業性を重んじる小説の総称である。「娯楽小説」「娯楽文学」「大衆文学」は同義語。「通俗小説」「通俗文学」とも呼ばれた。

坪内逍遙の『小説神髄』における「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」という主張や、尾崎紅葉らの硯友社による文学の娯楽性の追及から、後の大衆小説の原型となる人情小説・風俗小説の流れが生まれた。
豊胸 行政書士 趣味 マッサージ 家具 審美歯科 衣料 スクール 寝具 学習 特産物 エイジ 旅館 フレグランス 賃貸 リラク SEM促進 住まい リフレ アウトドア 老人 バイク パソコン スポット 教育 交通地図 脱毛 法人設立 コスメ SEO対策 料理 老人 増客対策 調査 リフレ 通信販売 老人 ファッション 学習 水族館 公園 観光 エイジ 雇用 ペット 旅行代理店 運送 老人 雑貨 精神医学

「通俗小説」という語は『日本国語大辞典』では大正9年(1920)の里見弴『桐畑』で、ここでは主として若い女を泣かせるような薄幸の女を描く小説の意で使われている。「大衆」文学という語の初出は、博文館発行の『講談雑誌』(1924年春の号)に使われた、「見よ、大衆文学のこの偉観」という惹句とされている。この造語により、それまで人情小説・風俗小説と呼ばれていたジャンルが、歴史小説、時代小説等を取り込んで、大衆小説として統合されることになった。だがこの当時は、探偵小説、恋愛通俗小説はまだ「大衆小説」とは呼ばれておらず、主として「高等講談」と呼ばれた時代小説、歴史小説を指した。

芥川龍之介らと共に『新思潮』を創刊した菊池寛が、通俗小説に新境地を見出し、文壇の大御所として後生の育成に努めることにより、大衆小説はその全盛期を迎える。

2009年04月29日

双子葉植物

双子葉植物綱(そうしようしょくぶつこう)、双子葉植物とは、2枚の初期葉もしくは子葉をもつ植物のことである。

双子葉植物は、名の通り子葉が2枚である種子植物の群(若干の例外はある)であり、子葉が1枚の単子葉植物と区別される。しかし、それ以外の特徴については、極めて多様であって、共通の特徴を示すことが難しい。強いて言えば、葉脈は網状脈であること、維管束が環状に並んだ真正中心柱を持つことなどがあるが、これらはむしろ被子植物における祖先的形質である可能性が高い。花の形についても花弁・雄蕊・雌蕊の数からその配置や構造に至るまで、様々なものがあるが、花の各部の個数が2または5の倍数となるものが多い。

そういったものを体系づけるため、被子植物の各群の系統関係について、様々な説が立てられた。 その一つは、ヤナギやドクダミなど、個々の花が雄蘂と雌蘂を一本ずつ備える花が原始的な花の姿で、進化の段階でそれが増加し、形を整えていったとするものである。これに基づいて整理されたのが新エングラー体系である。これに対して、モクレンに見られるような、中心に多数の雄蘂と雌蘂が螺旋に配置したものが原始的な花であると見て、それが次第に数を減らしつつ形を整えたと見て、その考えで整理したのがクロンキスト体系である。

以前からも、被子植物は多系的な集団ではないかと考える説はあったが、1990年代以降、ゲノム解析の発展により、双子葉植物は単系統群としては扱えない、つまり側系統群であることがいよいよ明らかになった。そのような知見を元にしたAPG植物分類体系では、従来の双子葉植物グループは、単系統群の真正双子葉植物 (Eudicots)と原始的な双子葉植物群に分かれる。つまり被子植物全体は、真正双子葉植物と単子葉植物という2つの大きな単系統群と、若干数かつ多系統の原始的双子葉植物群から成ることになる。

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真正双子葉植物=ユーディコッツ(Eudicots)の別名は、トリコルパテス(Tricolpates)すなわち三溝型花粉植物であり、形態の上からも、他の単溝型花粉植物であるところの原始的双子葉植物群から区別することができる。

2009年04月13日

更始帝(こうしてい)

更始帝(こうしてい)は、新末後漢初の緑林軍による更始政権の皇帝。南陽郡蔡陽県(現在の湖北省棗陽県西南)の人。元来は前漢の皇族であり、祖父は蒼梧郡太守の劉利、父は劉子張で、光武帝劉秀の族兄に当たる。正室は趙萌の娘。側室は平林の豪族の娘・何氏と韓氏。子は劉求・劉歆・劉鯉(寿光侯)。孫は劉巡(求の子)、曾孫は劉姚(巡の子)。

経歴 [編集]
『後漢書』劉賜伝註の『続漢書』の引用によれば、先ず酔っ払った釜侯亭長が、劉玄の父劉子張を罵り、劉子張は怒ってこの亭長を刺殺した。次に十余年後、この亭長の子が復仇として劉玄の弟劉騫を殺害した。劉玄はこの仇を報いんと賓客と結託したが、賓客が法を犯して、劉玄は平林に逃れた。役人は劉子張を獄に繋ぎ、劉玄は死せる真似をし喪を行わせて舂陵に帰り、役人に劉子張を出させ、世間から隠れた。[1]

地皇3年(22年)、緑林の乱が発生すると陳牧が率いる平林軍に参加する。緑林の兵は疫病のため新市軍と下江軍に分かれるが、新市軍と平林軍、更に劉秀の兄劉縯の舂陵軍は連合し、また下江軍も加わった農民豪族連合軍となった。23年正月、連合軍は新の太守・都尉である甄阜、梁丘賜を打ち破り、この時点で劉玄は更始将軍を自称した。更に2月、前漢の宗室であることから皇帝に擁立され、更始の元号を建てた。

6月、連合軍・漢軍が昆陽の戦いで劉秀による大勝利を収めた後、更始帝は劉縯によって降された宛城に入り、宗室諸将に対する冊封を行った。この月、威名を恐れて更始帝は劉縯を誅殺した。また更始帝は王匡を派遣して洛陽を、申屠建、李松を派遣して武関を攻め長安を目指し、一方汝南に天子を称する劉望に劉賜を派遣した。新朝の滅亡を実感した地方勢力は王莽の派遣した牧守を殺害し、更始の元号を使用するようになった。9月[2]、更始帝陣営はついに長安・洛陽を陥落させ、王莽の首級を得ている。10月に劉信が劉望を破り、更始帝は洛陽遷都を行い、更始2年(24年)2月に長安遷都を行った。

長安遷都後の劉玄は、奢侈な宮廷生活に染まり、即位の朝政は岳父の趙萌に一任し、その専権を放任した。赤眉軍が長安に迫った際に、張卬、廖湛、胡殷、申屠建と隗囂は謀議し、劉玄を脅して南陽に還ることを謀る。これが劉玄の耳に入り、5人は召される。隗囂は事が漏れたと悟って館に篭り、召された4人のうち3人は異常に気付き脱出し、それでも残った申屠建は斬られた。隗囂は天水に逃げ、残り3人(三王:淮陽王張卬、穣王廖湛、隋王胡殷)は長安で謀反を起こして逆に劉玄を長安から逃走させる。新豊に逃げた劉玄は王匡、陳牧、成丹をも逆臣と疑い、陳牧、成丹を斬り、逃げた王匡は長安の張卬らと連合する。劉玄、李松、趙萌は長安を襲い、王匡、張卬らは脱出して、赤眉の軍に入る。更始3年(25年)9月、赤眉軍が長安に侵入すると、劉玄はまたも長安を脱出する羽目になり、一騎だけで高陵に逃れる。翌月、降伏すれば長沙王に封じると言う赤眉軍に投降し、璽綬を赤眉軍が擁立した皇帝劉盆子に譲る。赤眉の総帥樊崇らは劉玄の殺害を企てていたが、劉盆子の兄劉恭が命乞いをして畏威侯に、更に長沙王に封じられた。しかし、降将の張卬が後難を恐れ、12月に、赤眉軍の武将謝禄を唆して劉玄を殺害した。その屍は劉恭が収容した。

死後、光武帝によって淮陽王を追諡され、光武帝の大司徒鄧禹に霸陵(現在の陝西省長安県東部)に埋葬された。3人の息子は列侯に封じられた。

人柄・逸話 [編集]
史書によれば劉玄は平庸(暗愚)であり、その性格も懦弱であったとされる。

マザーグ ロリータ あんずいろ ラウオル すないろ ブレザー ブリタ ブルジョア ドレス タジン スイート こるてーぜ ハザード ソフィア シャタカイ ロンド モーリ ルッコラ マジョル ドット 寒玉日本 フッラ アルマジ マドリード メーター ディレク 紅ほっぺ パパンサ スーツ きんしゃ チザン ミオシン ティン ドーマン ケイソウ きしょうてん スミレ ルーキー カムロ ハーフセ リフレッ オーバー おみたま ボジェット ヒイラギ スコー タチSEO マトーダ グッドア チェスト


2009年03月29日

会津鉄道キハ8500系気動車

キハ8500系気動車(キハ8500けいきどうしゃ)は、会津鉄道の気動車。

本項では、名古屋鉄道(名鉄)在籍時代についても記述する。
名古屋鉄道時代 [編集]
1991年(平成3年)3月16日、名鉄が乗り入れていた東海旅客鉄道(JR東海)高山本線で運行していたエル特急「ひだ」に使用されているキハ85系との車両格差を是正することと、当時運行していた特急「北アルプス」で従来から使用していたキハ8000系が老朽化し走行性能も大幅に劣るため、キハ85系と性能を揃えて製造された車両である。また、特急「北アルプス」の間合い運用で、名鉄線内(名古屋本線・常滑線)の特急としても使用されていた。

また、同時に行われたJRのダイヤ改正では春秋の多客期を中心に「ひだ」の臨時列車を併結するダイヤが設定され、閑散期は「北アルプス」の単独運行が行われていたが、1999年頃より、常時定期列車に併結されるダイヤとなった。

名鉄では「北アルプス」を最上級の列車として扱い、この列車に限っては回数券や定期券など、多少でも割引されたきっぷは使用(乗車)できなかった。詳細については「名鉄特急」にある記事も参照。

会津鉄道への移籍及び経過 [編集]
名鉄は、2001年(平成13年)9月30日をもって、利用客の減少、特急「ひだ」や高速バス等の代替交通機関があることなどを理由として特急「北アルプス」の運行を廃止した(代替として名古屋⇔高山の高速バスを1本増発した)。そのためキハ8500系は使用目的がなくなり、しばらくは須ヶ口駅に隣接する新川検車区に止められていたが、製造から約10年と比較的新しい事もあって、同年12月に会津鉄道が購入することになり、12月22日から24日にかけて会津鉄道へ甲種輸送された。会津鉄道への移籍に伴う大きな改造は行われておらず、名鉄の伝統である大窓や折り戸ドア、塗装や外観・内装、名鉄独特の警笛など名鉄時代からほとんど変わっていない。塗装に関しては、当初は塗り替える予定だったが「北アルプス号の塗装のままにしてほしい」という要望が名鉄沿線住民からかなり寄せられた(譲渡当時の中日新聞記事より)ため塗り替えを取りやめている。

一般公募で決まった“AIZUマウントエクスプレス”の愛称を与え、2002年(平成14年)3月23日から同社会津線で浅草駅発着の東武直通急行「南会津」と連絡する会津若松駅-会津田島駅間の快速列車に充当される。名鉄時代と異なり、ミューチケットのような特別車両券、特別急行券を一切必要としない。

なお、「AIZUマウントエクスプレス」は会津鉄道でのキハ8500系の愛称(列車名ではない)であるため、会津田島駅-会津高原駅(現・会津高原尾瀬口駅)間の普通列車としても使用される。また、2003年(平成15年)10月1日より東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線喜多方駅まで乗り入れを開始した。そのため、名鉄では本来の用途であった私鉄⇔JR線の直通運転は会津鉄道への移籍後も継続している。

2005年(平成17年)3月1日より、急行「南会津」が廃止になったことにより、野岩鉄道会津鬼怒川線を経由して東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅まで乗り入れを行い、浅草駅発着の特急「きぬ」、連絡する快速列車及び新宿駅発着のJR直通特急(スペーシア)「きぬがわ」に接続する快速列車に使用される。

車両の概要 [編集]
1991年に、貫通形先頭車4両(8501~8504)と中間車1両(8555)の5両が日本車輌製造にて製造された。「ひだ」で運用されるキハ85系の最高速度120km/hと同等の走行性能を有するために、イギリス・カミンズ社製のエンジン「NTA855-R1」を搭載している。しかし、名古屋鉄道の車両限界がJRのそれより小さいことから、車体断面はキハ85系の幅を狭めた形で、車両側面は名鉄の1000系「パノラマsuper」と同形状の大型窓(天地寸法は1000系より5cm大きい95cm)とし、側窓高さを座席肘掛け高さに合わせ、下方の視野をよくしている。キハ85系と同等のドア位置を保つため、車端部分に2箇所片開き折り戸ドアを有している。また、8501と8502はキハ85系との併結に対応するため、運転台側の貫通路の高さと連結器の長さをキハ85系に合わせている。客室は1000系よりも大型のリクライニングシートを備え、天井は間接照明としている。長さの最大寸法はキハ8500形が21.415m、キハ8550形が21.53mで、名鉄では歴代最長の車両であった。車体幅は狭いとはいえ、キハ8000系と異なり2,740mmと名鉄の限界ほぼ一杯に取っていた。車内放送のチャイムはJR東海のキハ85系のものと同じものが設置されている。名鉄時代は「北アルプス」として運行するときに使っていた(間合い運用で特急に使用されたときでも、始発駅出発直後に鳴らされていたことがある)。会津鉄道に移籍してからも時々鳴らされることがある。

会津鉄道では2両編成2本として使用し、中間車の1両(8555)は使われずに会津下郷駅に留置されていたが、喜多方乗り入れに伴い、多客時には増結車として使用されるようになった。

しかし鉄道ジャーナル2007年11月号によると、中間車の1両(8555)は、2007年3月31日付けで廃車された。

サルカ おれたち レンソ ステキな レッスンプ モラル ハート バイオポ キックボ カーヒー テガシワ ビュル テープデ ブークレ バーキ ヒートシン カタル スノーソ シーディー スカラー ヒデリコ ステル トローチ ブレス カナリア プネー フリップ ジャイプ せんこう サミング セント レナン クジャク ダイレ リード ユーブ ピーク ぶるーべ ドライフ ドック フルガイド案 けーるナビ クローシス バーベル トロツ ビット ドラッグ 夢海峡 風のシア バスタ

2009年03月14日

スタリ・モスト

スタリ・モスト(Stari Most,「古い橋」)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにある16世紀の橋で、市内を分けているネレトバ川に架かっている。町の象徴となっていたこの橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にあたる1993年11月9日午前3時にクロアチア系のカトリック民兵によって破壊されたが、その後復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復興工事が完了した。2005年には、ボスニア・ヘルツェゴビナ初のユネスコ世界遺産に登録された。

スタリ・モストは、モスタル旧市街のネレトバ川に架かっており、「モスタル」の名もこの橋に因んだものである。モスタルは国内第四位の大都市で、ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の中心都市であると同時に、ヘルツェゴビナ地方の非公式な首都でもある。
ナビワジ マーモ リカー 一刻千金 トベラ シャン フック トロピ アームロ サリドマ ビーツ ヨーク アンダー みみず クマザ ワラルー レース 結の的 サーチ バルコニー スキタイ ナビ凪笛 ドライアイ ぬくもり ローラム サンゴ トポロ ソナタ レモンバ ブリーフ ソバ国内 ボイル キキーモラ リーブ オブザ スルタン けんばん 水たまり トパーズ ムンク セラミド シーレー よいち シロップ ふだい プライ サルベージ ショート ファジー ファーム

スタリ・モストは中心部が湾曲した橋で、全幅4 m、全長30 m、川面からの高さは24 m である。この橋には、それを守る要塞化された塔が二つ備えられており、北東にあるのがヘレビヤ塔(Helebija)、南西がタラ塔(Tara)である。この二つは「モスタリ」(mostari)と呼ばれるが、その意味は「橋の護衛者たち」である。

橋のアーチはテネリヤ(tenelija)として知られる地元の石で組まれている。アーチの姿は、内弧面の歪みが惹き起こした多くの不規則性の結果である。

土台の代わりに、橋には、水辺の断崖に繋がっている石灰岩の橋脚歯が備わっている。夏場の川の水面は海抜40.05 m で、それを基準に測った場合、橋脚歯の高さは6.53 m であり、そこからアーチが高く伸びているのである。アーチの始点は、高さ0.32 m の塑形物で強調されており、アーチの高さは12.02 m である。

歴史 [編集]

建設 [編集]
20世紀まで残っていた橋は、1557年にスレイマン1世が当時あった不安定な木製の吊り橋に替えて作るよう命じたものである。建設は1557年に始まり、9年間を費やした。橋の碑文に拠れば、ヒジュラ暦の974年、西暦でいえば1566年7月19日から1567年7月7日の間に完成したようである。

橋の建築について知られていることは乏しく、現存する書き物に残されているのは、回顧録や伝説、それと建築を手がけた人物の名前くらいである。その建築家の名前は、ミマール・ハイルッディン(Mimar Hayruddin)で、当代随一の建築家だったミマール・スィナンの門下生だった人物である。伝説では、彼は前代未聞の橋を作らねば死刑にすると申し渡されていた為に、橋が完成して足場を撤去する日には自身の葬式の準備をしてあったという。

実証的な記録の乏しさから、いくつかの技術上の問題は謎のままである。その問題とは例えば、足場がどうやって組まれたのか、石を一方の岸から向こう岸にどうやって運んだのか、長い建築期間中に足場はしっかりしたままだったのか、などである。

この橋は、建造当時では世界唯一のシングル・スパン・アーチであったと考えられているので、その意味で、当時の最も優れた建築物のひとつに数えることが出来るのである。

破壊 [編集]
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年 - 1995年)の間、クロアチア分離主義勢力・クロアチア防衛評議会は、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍と対峙し、1993年11月9日にスタリ・モストを破壊した。

クロアチア系の民族主義者たちは橋を寸断し、周辺の歴史的な街区も破壊した。彼らにとっては、それはボスニア人文化、トルコ文化、イスラーム文化などの一部として、攻撃の的になったのである。

先立つ1992年には、ネレトバ川右岸に非常に近いスタリ・モストの欄干が砲弾で穴をあけられていたのだが、93年11月9日にCekrkの丘やその周辺から浴びせられた一連の砲撃で橋そのものが完全に破壊され、川に崩れ落ちた。クロアチア人たちは、橋がボシュニャク人の勢力下にあったネレトバ左岸と右岸の小さな勢力圏を繋いでいることから、それを意図的に標的にしたのである。

再建 [編集]
現在世界遺産に登録されている橋は、ユネスコの支援を受けたトルコ企業によって再建されたものである。当時の技法に従って切り出された1088個の石を使ったこの再建事業には、およそ1200万ユーロが費やされた。その再開通は2004年6月23日のことで、再開通のセレモニーも挙行された。ボスニアのコミュニティにはまだ反目や疑念もくすぶってはいるが、そのセレモニーはコミュニティの和解することを基礎においたものであった。

橋からの飛び込み [編集]
町の若者たちにとっては、橋からネレトバ川に飛び込むのが伝統になっている。しかし、川は非常に冷たく、かなり危険な芸当であるため、最も上手で訓練を積んでいる潜り手だけが挑むのである。この慣例は橋の建造当初からあったらしいが、記録によって裏付けられるのは、1664年以降のことである。

1968年には公式な飛び込み大会が開催され、以降毎年夏に行われている。

2009年02月25日

殖装体(ガイバー)

ガイバーI
深町晶が殖装した姿。体色は青みがかった緑。ガイバーIは攻撃よりも防御を重視した性能となっている。これはユニット接触時の晶の精神状態が反映されたもの。

身長:174cm(頭角含まず)
体重:261kg
ガイバーII
オズワルド・A・リスカーが殖装した黄色いガイバー。徳間書店版1巻では頭部以外はガイバーIと同じデザインだったが、1989年のシリーズOVA発売に合わせて新規にデザインされており、徳間書店版6巻以降は現在のデザインとなっている。また、角川書店版では1巻のガイバーIとの戦闘シーンがほぼ全て新規に書き下ろされている。

身長:210cm(頭角含まず)
体重:360kg
ガイバーIII
巻島顎人が殖装した黒いガイバー。ガイバーIより装甲が薄いが、高周波ソードが前腕部に2本装備されている(ガイバーIは1本)。頭部や口部にトゲのようなものがついており、ガイバーIより攻撃的なイメージ。

身長:191cm(頭角含まず)
体重:328kg
0号ガイバー
身長:不明
体重:不明
イマカラムや晶の回想に登場。降臨者が好奇心から原初の人類にユニットを殖装させたことから誕生した最初のガイバー。降臨者の想像を遥かに超えた戦闘力を発揮したが、降臨者の精神支配から完全に外れたため暴走、反逆した。多数の獣化兵を瞬く間に全滅させたが、アルカンフェルによってユニット・リムーバーでユニットと分離され、殺された。デザインはガイバーIにガイバーIIとIIIを足したようなデザイン。

ガイバーII F(フィーメイル)
身長:不明
体重:不明
ヴァルキュリア監察官が試作版の人造ユニットで殖装した紫色のガイバー(原作)。体系はガイバーIより細身で胸が強調されたデザインになっている。

ガイバーの武装
ヘッドビーム
頭部コントロール・メタル上部に配置されたヘッドビーマーから発射される超高効率の赤外線レーザー。威力はガイバーの武装としては低いが、チャージにかかる時間が短く連射が可能なため、牽制や多数の雑魚やミサイルを破壊するためなどに多用される。
高周波ソード
肘部の突起が伸長して形成される、一種の超音波カッター。高速で振動して接触した物体の分子結合を弱め、あらゆる物質を切り裂く
プレッシャー・カノン
腰部重力制御球(グラビティコントローラー)より発生させた極小のワームホールを衝撃波に変換して放つ
ソニック・バスター
口部金属球(バイブレーション・グロウヴ)から対象の固有共鳴周波数と同調する振動波を発射し、対象を破壊する
メガ・スマッシャー
胸部装甲の下に存在する器官から発射する粒子ビーム。100メガワット以上の出力を誇る、ガイバー最大最強の武装。ギュオーのバリアでも防ぎきれなかったが、アルカンフェルにははね返されている。
ガイバー・ギガンティック
ガイバーIのギガンティック。体色は黄色に近い白で、ガイバーIIに近い。

身長:272cm(頭角含まず)
体重:393kg
ギガンティック・ダーク
ガイバーIIIのギガンティック。体色は黒。性能はガイバー・ギガンティックに準じるが、口部の金属球が5個、高周波ソードが3本とガイバー・ギガンティックより数が多い。

身長:275cm(頭角含まず)
体重:460kg
ギガンティックの武装
ヘッドビーム
デュアル・コントロール・メタル上に大型の物、その周囲にガイバーI時と同等の出力の発振器が2基存在
高周波ソード
威力自体はガイバーI時と同等だが、伸縮自在になり攻撃可能範囲が大幅に拡大
プレッシャー・カノン・ギガマキシマム
エネルギーアンプで威力を強化されたプレッシャーカノン
ギガ・ソニック・バスター
口部の金属球が2個から4個に増えたためソニックバスターの効果範囲が格段に広がり、威力も増している
グラビティラム
胸部の突起が伸び、高速移動と共に敵を貫く
ギガ・スマッシャー
メガ・スマッシャー同様胸部装甲下の器官から発射される粒子ビーム。エネルギーアンプの増幅により、メガ・スマッシャーの100倍以上の威力を誇る。
ギガンティックXD(エクシード)
ガイバー・ギガンティックが巨大化した姿。「巨神殖装」とも表記される。体色は赤。「超越(エクシード)」の命名は、あまりの威力の強大さを目の当たりにしたシンによる。巨大化には殖装者(晶)の心理的変化が大きく影響しているらしい事から、ギガンティック・ダークがエクシード化できるかどうかは不明。ギガンティックの能力はこの形態でも全て使用可能であり、「武器の威力はサイズ比を大きく上回るパワーアップを遂げている(設定資料室より)」とのこと。

身長:52m
体重:2690t
エクシードの武装
グラビティ・インプロージョン
形成過程にあるマイクロ・ブラックホールを射出し、射線上のあらゆる物質・エネルギーを押し潰しつつ吸収、素粒子のレベルで崩壊させた上で「重力の井戸」の底に落とす超武装。マイクロブラックホールは対象を消滅させた後蒸発する。巨獣神殲滅体に対して初めて使用され、真・煉獄砲の全エネルギーごと一瞬で消滅させた。使用時はギガンティックの持つ三基の重力制御球全てを稼動させ、全身のエネルギーアンプを展開、フル稼働状態となった上で胸の重力衝角と両肩の重力スタビライザーを展開させる必要がある。

クロノスの調製体
正規採用タイプ(アダプションナンバーズ) 獣化兵(ゾアノイド)
ラモチス
最も一般的な筋力増幅型の獣化兵。初期に実用化され、比較的容易に調製出来る事から、世界各国に配備されている。筋力増幅度は常人の10倍。OVAではグレゴールの部下として働くなど、これら下士官的存在の下で戦う下級兵士としての登場が多い。小説版によると体毛の色には黒・灰色など個人差があり、あまり物事を深く考えない性格(ただしこれはラモチスのみならず筋力増幅型一般に見られる調製方針)に調製されているなどの設定が明かされている。クロノスの世界制圧戦時には日本の首相がこれに変身するシーンが描写された。
グレゴール(O:戸谷公次 T:園部好徳)
日本支部にて早期に開発された筋力増幅型の獣化兵。筋力増幅度は常人の15倍を誇る。ガイバーIが最初に倒した獣化兵。非常に密度の高い筋肉組織と恐竜のそれを思わせる骨格構造を持ち、防御力にも優れる。至近距離からの衝撃を受けた場合には体内構造に損傷をきたす事もあるらしく、第一話で小型爆弾の爆発によって獣化したまま戻れなくなってしまったと報告している場面がある。
小説版「鬼影の記憶」には、彼(人間としての名前は「長沼達夫」)の「遺族」が登場する。
ガイルズ
グレゴールの試作品に当たり、筋力増幅度は13倍。背中の突起物が特徴。バルカスの閲覧するモニター画面の中にのみ登場し、実際に戦うシーンはない。
ヴァモア
日本支部にて開発された生体熱線砲(バイオブラスター)タイプの獣化兵。獣化の際、両肩にレーザー発振器官が構成される。筋力増幅度は低いが、それでも常人の5倍程度ある。人間としての姿を持つ者には劇場公開版アニメで警察署長が変身した個体、小説版「鬼影の記憶」では、任務に失敗したクロノスのメンバー(長沼敬一郎。最初に登場したグレゴールの叔父に当たる)が懲罰として調製された個体などがいる。
メンツェル
ヴァモアの改良型。出力が30%アップし連射が可能になった、また筋力も増加されており敏捷性も向上している。
ブロイズ
グレゴールの改良型。筋力の増幅値は13倍とグレゴールに劣るが、その分敏捷性が高い。また防御力においても銃弾を弾き返すほどのものを持つ。あまり量産はされていない。
ゴビルバ
ラモチスの改良型。筋力増幅値は12倍で、その他の基本性能値も向上したが、調製成功値が低下したために量産化は見送られた。クロノスの世界制圧戦時、アメリカ大統領の補佐官が変身した個体が印象に残る。初登場時と二回目以降の登場では著しく絵柄が変わっている。
カダン
水中戦闘型獣化兵。縦に裂けた口から水を高圧で噴射し、敵を撃ち抜く。手足には吸盤を持つ。第7艦隊襲撃に多数が参加していた。
ガルバラン
亀に似た水中戦闘型獣化兵。筋力増幅度は18倍。体内で生成される液体窒素を口から噴射して相手を凍結させる。第7艦隊襲撃に参加していた。
ネアルコス
水中戦闘型獣化兵。半魚人型で深海作業性に優れている。筋力増幅度は25倍と超獣化兵を除けば非常に高い。第7艦隊襲撃に参加していた。
タブロス
砂漠戦用獣化兵。砂中に潜み、敵を急襲する。サウジアラビアで米軍と交戦。戦車に無茶苦茶に踏みにじられて死亡した。
マルカルト
森林地帯の戦闘に主眼を置いた獣化兵。一見鳥型だが飛翔能力はなく、むしろその動きは猿に近い。獣歌団のメンバーとして登場した。
ラゼル
昆虫型獣化兵。哨戒・偵察を主任務としており、俊敏性に富んでいる。獣歌団のメンバーとして登場した。
シチシス
斥候用獣化兵。鳥に似ている。敏捷性に優れ、短距離の飛行も可能。獣化兵としては最も小型の部類だが、運動性はトップクラス。視力も優れている。ギガンティック出現の際、プルクシュタールが送り込んだ斥候の一人。
ロッシュ
斥候用獣化兵。カメレオン型で、保護色の機能も備えている。イマカラムが斥候として送り出したが、アプトムに捕食された。
デボルド
ギガンティック迎撃の為、クラウド・ゲートから出撃した飛行部隊。巨大なトンボのような姿をした獣化兵。
ゲパトルス
ギガンティック迎撃の為、クラウド・ゲートから出撃した飛行部隊。
バルバトス
ギガンティック迎撃の為、クラウド・ゲートから出撃した飛行部隊。
ガーノルド
ギガンティック迎撃の為、クラウド・ゲートから出撃した飛行部隊。
ブレリモス
ギガンティック迎撃の為、クラウド・ゲートから出撃した飛行部隊。
デルカッセ
生体熱線砲タイプ。
グリンメルス
生体熱線砲タイプ。
ゲッツ
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。蛇のような容貌の獣化兵。
グランザ
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。カニのような容貌の獣化兵。1986年のOVA版においてこれと似た容貌の獣化兵が登場し、高周波ソードで倒されているが、関係は不明。
ルキル
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。カマキリのような容貌の獣化兵。
エルトボ
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。モグラのような容貌の獣化兵。
ダイル
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。
カーヴィル
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。イノシシのような容貌の獣化兵。
ホドロフ
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。アルマジロのような容貌の獣化兵。
ディーゲル
“ゼウスの雷”本部襲撃に参加。
ガーゴイル
新しい主力獣化兵として開発された。グレゴールに並ぶパワー、ラモチスに準ずる量産性を兼ね備えている。旧日本支部においては両者より格上の立場に立つ事が多かったようだ。大半は遺跡基地の崩壊とともに死亡し(実際に圧死するシーンも描かれている)調製データも消失してしまったらしく、以後登場していない。
バルバス
筋力増幅型。優良種だが偶然発生的に誕生した種でありあまり調製成功率は高くない。竹代町脱出編で民間人が変身した個体が初出。
シネバイト(T:近藤孝行)
小説版にて登場。軟体動物のような風貌の獣化兵。ラモチスを苦もなく絞め殺すほどの力を持つが、感情の昂ぶりとともに体内で発光物質ルシフェリンが発生し全身が発光する事から隠密行動には難があり、実用化は見送られた。彼の台詞から、獣化兵は訓練中は喫煙が禁止されていることが判明した。
エンザイム(O:筈見純 T:緒方賢一)
ガイバーIIの分析結果を基に、対ガイバー用として開発された獣化兵。尾部、爪、牙から強殖装甲を分解する酵素液を分泌し、殖装体の装甲を瞬時に溶解する。ただしこの酵素は大気に触れると急速に化学変化して効果が失われる。元クロノス日本支部長巻島玄蔵が実験体として調製され、ガイバーIと相討ちとなった。続いて調製中の数体はクロノス日本支部壊滅の際、ガイバーIIIによって破壊された。
獣歌団
世界制圧後、クロノス日本支部統制局が大衆の意識操作の為に送り込んだビジュアル系ロックバンド。メンバーは全員が獣化兵(ボーカル:ラモチス、ギター:ラゼル、キーボード:マルカルト、ドラムス:グレゴール)で、その能力を活かした歌と演奏、さらには人間体時には全員が美形であり、演奏後に獣化を解除する(当然全裸となる)際どい演出が特に若い女性に大人気を博している。バンド名の元ネタは憂歌団と思われる。[要出典]

超獣化兵(ハイパーゾアノイド)
ゼルブブス(O:山寺宏一 T:三宅健太)
グレゴール以上の怪力と、ヴァモアより効率の良い熱線砲を備え、頭部の触角からは溶解液を噴射する。ギュオーが来日した際にパナダインとともに同行した。ガイバーIIIに倒される。小説版では、前田という名前を持つギュオーの側近で、日本支部に潜入していた。
パナダイン(T:宗矢樹頼)
体内で生成した液体爆薬(2種類の液体を飛ばし、混合されると爆発する)が武器。ギュオーが来日した際にゼルブブスとともに同行した。ガイバーIIIに倒される。小説版ではラテン系の男であり、エリートらしからぬ俗気を見せていた。
エンザイムII(T:宮田浩徳)
対ガイバー用として開発された超獣化兵。エンザイムをベースとしているが、日本支部の壊滅で資料が失われた為、ほぼバルカスのオリジナル。また超獣化兵としては珍しく、同タイプが複数量産されている。尾はなく、爪と口、背中から生えた4本の触手の先に分泌腺が設けられている。また酵素液そのものも改良され、大気に触れても効力は失われず、口から吐き出して攻撃する事も可能。晶の父親である深町史雄が実験体として調製され、ガイバーIと戦う事に。その後も二度に渡り数体が登場している。また、アプトムはバルカスに再調製を受けた際、エンザイムシリーズ中このモデルの遺伝情報を付加されている。
ゼンクルブ(T:園部好徳)
全身の角から強力な電磁波(マイクロ波)を発生し、相手を焼殺する(電子レンジの原理)。トロントの調製施設の責任者で、ゼウスの雷の襲撃を受け、ガイバーIIIに倒される。人間としての姿は髪をオールバックになでつけた白人男性で、スーツ姿から獣化した。
ムメルゼー(T:河本邦弘)
額の角からの電撃と、両肩に装備した超音波砲が武器。
ノズコフ(T:浜田賢二)
ムメルゼーとほぼ同タイプの超獣化兵。小説版では戦士たらんとする人物として描かれた。
ミノドリウス
体当たりの際、肩の瘤に仕込んだ液体爆薬がリアクティブアーマーの様に作用し、ダメージを増加させる。
ダナパルス
全身にダイヤモンドに匹敵する硬度の棘を持ち、さらに高周波で振動して刺し貫いた相手を粉砕する。
ビルボネッグ
背中の甲羅は強固であり、四肢を収納して球状となって体当たり攻撃を行う。
エンザイムIII
エンザイムの最新型。今までのエンザイムに比べ体格の小型化、飛翔能力の追加など機動力の向上が著しく、超獣化兵としても大変高い完成度をもつ。さらに損傷の回復速度が非常に早く、またアプトムへの対策として侵食を妨害するウィルスが植えつけられている。しかしそれらのスペックを実現する為に代謝機能を高められており、調製後は2・3年しか生きられない。エンザイムII同様に同タイプが複数量産されており、超獣化兵としては特異な存在である。
ブランカイ三兄弟
クルメグニク配下の三体合体する超獣化兵。実の兄弟で、ブランカイα、β、γの三体から構成され、合体時はそれぞれ頭部、胸腕部、腰脚部になる。人間体はともに野卑な容貌の男性。獣化時には三体が合体する事で飛行能力と強力な戦闘能力を得る。クルメグニクたちがガイバーIをおびき出すためガイバーギガンティックに近似した姿に追加調製し、高層住宅街を襲わせた。
ガプティン
生体熱線砲タイプ。ギガンティック・ダークのアリゾナ基地襲撃時、基地防衛に参加していた。
ガシュタル
高い隠密行動能力を備えた超獣化兵。その能力はガイバーの頭部センサーでも空間のほんのわずかな歪みとしか認識できないほど。カブラールによってアプトムを操るための下準備用の餌として用意されていた。
超獣化兵五人衆
ゼクトール(O:沢木郁也 T:志村知幸)
五人衆中最強の戦闘能力を持つ超獣化兵。体中に計14門もの生体熱線砲を持つ。中でも、羽根で周囲の熱を吸収し、腹部から放つ「ブラスターテンペスト」は、ガイバーのメガスマッシャーに匹敵する威力を誇る。強靭な外部装甲は剛性と弾性を兼ね備え、プレッシャーカノンの直撃にも耐える。また、生体熱戦砲タイプには珍しい怪力で、地中を高速で掘り進む事も出来る。アプトムとの戦闘で左足を捕食されるも、仲間の仇を討つ為に再調製を受け、損種実験体(ロストナンバーズ)となった。
エレゲン(O:小杉十郎太 T:遠近孝一)
生体発電所というべき超獣化兵。電気ウナギの500倍の発電能力を持ち、4本の触手から電撃を放つ事ができる。高電圧を利用したイオノクラフト効果で短時間なら空中を浮遊する事も可能。また熱、火炎攻撃に対しての耐性も持つ。アプトムに最初に捕食された。
ダーゼルブ(O:郷里大輔 T:四宮豪)
筋力増幅型でパワーと防御力に優れる超獣化兵。全身から放つ超高熱線が武器。口から超高熱の火炎を吐く事もできる。アプトムの「分体」を倒して油断したところを、捕食したガスターに化けて現れたアプトムに侵蝕・捕食された。
ガスター(O:銀河万丈 T:園部好徳)
液体爆薬や生体ミサイルを精製、発射する事が出来る超獣化兵。それらの武器が強力すぎて遺跡基地内では使用できないため司令室で待機していたところをアプトム分体に狙われ、捕食された。
ザンクルス(O:広中雅志 T:河本邦弘)
五人衆の中では最も素早い超獣化兵。両腕の高周波ブレードを武器とする。ガイバーIIIの高周波ブレードで真っ二つにされる。アプトムがクロノスを裏切って捕食能力に目覚めるより前に死んだので、五人衆中、唯一アプトムに捕食されなかった。なお、ザンクルスが倒された後、エレゲンがアプトムに捕食されるまで、彼らはバルカスなどに「四人衆」と呼ばれていた。

損種実験体(ロストナンバーズ)
アプトム(O:二又一成(回収版:小野健一) T:稲田徹)
形式番号AM0021-L、あらゆるタイプの獣化兵にその場で自己調製できる「万能型」を目指して開発されたが失敗、外見は変化できても能力はオリジナルに及ばない。ただし獣化兵のみならず、ガイバーの姿と能力も真似る事ができた。後にバルカスによる再調製を受けた(後述)。
ソムルム(T:四宮豪)
口から吐く“生体融縛粘体”は、相手の生体組織と融合同化し自由を奪う(たとえ強殖装甲であっても)。ロストナンバー・コマンドの先鋒として出動し、瀬川兄妹の拉致を試みるが、ガイバーIに倒される。
ダイム(T:酒井敬幸)
液状化して大地と融合し、周囲の植物や土石を自在に操る。液化したまま地中を高速で移動する事もできる。アプトムと共同してガイバーIと戦うが、村上の精神波をギュオーのそれと誤認し怯んだところをガイバーIの高周波ブレードの発する波動で倒される(電子レンジの原理)。
ゲルペス
他の人間に変身する能力を持つ。姿・形、声もそっくりに再現できるが、記憶はコピーできない。変身能力以外にこれといった武器はない。瑞樹に変身して晶を束縛するが見破られ、殖装時の防護フィールドで吹き飛ばされる。
メイジュ(MEIJU、形式番号AM0017-L)
トリヒロ(TORIHILO、形式番号AM0018-L)
レドン(REDON、形式番号AM0023-L)
トール(TOLU、形式番号不明、ロストナンバーズを表すLの記号のみ判明)
コミックス第5巻P137に名前が登場。姿形、能力は不明。形式番号及びロストナンバーズを表すLの記号が判明している。

ネオ・ゼクトール(T:志村知幸)
五人衆中最強の戦闘能力を持つ、超獣化兵ゼクトールが、仲間の仇を討つ為に再調製を受け、五人衆全員の能力に加えて、アプトムの侵蝕を阻む抗体と体機能を狂わせるウィルスを体内に備えた。そのため獣化兵としてのバランスを崩し、生殖能力を失い、損種実験体となった。獣神将の思念波の影響も受けにくくなったが、過度の調製のために既に体細胞の崩壊が始まっており、アプトムの様にクロノスを裏切る心配は無い(その時間はない)とされた。アプトムやガイバーを追い詰める。最期は自滅技ともいえる「ファイナルブラスターテンペスト」を放ち消滅した。
名称無し(バイオフリーザー/速水利章)
体内に液体ヘリウムを冷媒とする極低温冷凍機を備え、胸部中央から強力な冷凍ガスを放射する(バイオフリーザーというのは、その能力を表す英語名称であり、獣化兵としての名称ではない)。

不明
芋虫のような頭部を持つ獣化兵
1989年のアニメージュにおける新OVA紹介カラー記事にてイラストが公開された。その後、作品において描かれた形跡はない。実写版第二作に芋虫型獣化兵が登場するが、関連は不明。

このほか、カブラールによって操られた一般人獣化兵の中に多数の名称不明の者が見受けられる。

獣神将(ゾアロード)
アルカンフェル(T:松本保典 )
降臨者の手によって調製された唯一のオリジナル・ゾアロード。未だその能力の全貌は明らかではないが、作中では強力なバリアや念動力の他、瞬間移動能力や、遺伝子マトリクスからその生物の特性を解析する能力(初対面のアプトムの能力特性を看破した)、ギュオーの擬似ブラックホールに吸収されても通常空間に復帰する能力なども持っている事が確認されている。そのバリアは小惑星をも破壊する威力を持つ。
戦闘形態は遺跡基地崩壊の回が初出だが、その後イマカラムの見るアルカンフェルの記憶映像として登場し、身体各部にギュオーのグラビティ・ポイントに似た半球状の物体が追加されたデザインに変更された。

スパイラル・クラッシャー・・・重力制御でつくりだした竜巻
リヒャルト・ギュオー(O:柴田秀勝 T:有本欽隆)
近接戦闘型獣神将。十二神将中最強の「重力使い」といわれ、獣神変時は重力制御の能力を用いた様々な攻撃手段を持つ。中でも全身のグラビティ・ポイントを撃ち出して形成する「疑似ブラックホール」は非常に強力で、中和消滅させないままあまり放置していると本物のブラックホールになってしまう危険な技である。
ハミルカル・バルカス(O:加藤精三 T:亀井三郎)
戦闘能力については不明だが、思念波の強さと透視能力は十二神将一といわれている。
フリドリッヒ・フォン・プルクシュタール(T:土田大)
近接戦闘型の対極に位置する遠距離戦闘型の獣神将で雷を操る能力を持つ。その能力を利用した雷撃はビルを一瞬で蒸発させるほどの威力がある。またその落雷を自らの体内にためておいて胸部から近接攻撃に用いたり、全身の黒い突起物によりビームを吸収する能力も持っている。
シン・ルベオ・アムニカルス(T:松本大)
獣神変すると巨大な角の生えた姿となる。
ラグナク・ド・クルメグニク(T:麻生智久)
アフリカ支部を統括。アルカンフェルに叛意を持つ三神将の一人。人間界と接触を絶って過ごす事もある。
ジャービル・ブン・ハイヤーン(T:園部好徳)
アルカンフェルに叛意を持つ三神将の一人。
カブラール・ハーン
インド支部を統括。アルカンフェルに叛意を持つ三神将の一人。獣神変時は他の獣化兵を吸収・融合する「融合同化」という能力を持ち、「巨獣神変化」(ドラゴニック・バースト)と呼ばれる特殊な戦闘形態を取る。人間体の時は小柄な老人だが、巨獣神変化時は、非常に巨大な姿となる。その際、本人は脳のような姿に変身している。また自身の細胞からつくった擬似脳を獣化兵に埋め込んで支配する事もでき、この能力で思念波の支配下にないアプトムをコントロールした。
巨獣神(ドラグロード)
カブラールの戦闘形態。多数の獣化兵を吸収・融合して誕生する。その名に恥じぬ怪獣めいた巨体を誇り、アプトムやガイバー・ギガンティックを圧倒する戦闘能力を誇る。
セタノール スタッフ 青空の破片 シロキ システム シャリ フレッシュ 星空 レビュー スケープ レター セラピスト ウォータ 雪化粧南瓜 ヤンゴン マリン フリマ ジンゲス ひえい リヤド 大冒険ニュ ポポポ ハート なご セレシン ジンク ネーチャー ブル スティック スポーツ リトル ショート システ フリー 砂漠のバラ ブジー コスメ クリーム トロメア うぇあ あしげ プロペラ ナイフ ショッキ キュート イング スタメン チャ・チャ バラクーダ ローブチ

武装
煉獄砲(プルガトリウム)
巨獣神変化後の頭部に当たる位置が展開、生成された「光球」から強力な破壊光線を発射する。
巨顔触手
カブラールの顔を模した触手。感覚機能を備えており、全身に生成されるこれにより巨獣神の死角は皆無となる。また体組織を分離した上で、分離した部分をこれに変化させる事も可能。かなり強靭で敵の束縛に使用したりある程度の攻撃能力も持つ。

2009年02月09日

ベチュアナランドの成立

急速に勢力を伸ばし始めたドイツに対抗するため、1885年、イギリスはいったん拒絶したカーマ3世の保護要求を受け入れている。同時に他の7首長に対しても保護を通知した。イギリスはツワナ人の領域、すなわち西のモロポ川の北岸から始まり、東のリンポポ川の北岸を南限として、これより北をベチュアナランド(Bechuanaland、現在のボツワナ)と呼び、保護領とした。イギリスは土地の所有権は主張せず、アフリカーナーの土地に対する要求も認めなかったため、ツワナ人の土地が守られたことになる。
大航海 だいこん バント しじょう ハレー ポル国内 トップス アッチラ シャボン ラゴン リーマン ラグソール ラセボ カスト ボール リリヤン レーション マッシ セレナ インター キルン バターク ロスメン ダルコ スキャ イチク スピッ シック ジッグ アグラ ラストシ オフサイド ローアン ソース ノズル ジラフ ヱスビ ラインビ ガスボンポ テミズム マスター てんゆう スカーフ ストライ ション スト ロース バミュー デル チョウゲ

イギリスの興味は税金のみにあった。ボツワナから収益を上げることは考えておらず、保護領を維持するだけの税金で満足していた。イギリスにとってはボツワナは単にケープ植民地を守る天然の防壁にすぎなかったからだ。ツワナのコシにとっては話が違う。自らの年貢の権利が犯されるからだ、しかし、ボーア人の侵入を抑えるためにはしかたがなかった。カーマ3世は年貢よりもングワトに対する干渉と南アフリカへの併合を恐れていた。

アフリカを股にかけるセシル・ローズ(当時の時事風刺漫画より)
1905年のアフリカ南部 金鉱の位置が黄色で示されている。
セシル・ローズの野望
次にツワナ人の前に現れた敵はケープ植民地の政治家セシル・ローズである。ローズはイギリスに生まれ、ケープ植民地に渡って財産を築き、国王から地域の統治責任を賜った特許会社であるイギリス南アフリカ会社 (BSAC) を設立した。ローズは地中海に面するエジプトのカイロからアフリカの南端ケープタウンに至る鉄道を建設し、アフリカ大陸を縦の線で支配することを考えていた。ローズは帝国主義的な領土拡張、フランスに対する対抗を第一の使命としていたからだ。まずはケープ植民地と1889年にローズが権利を獲得したばかりの南ローデシア(現在のジンバブエ)を接続しなければならない。

こうなると真っ先に標的になるのがケープ植民地と南ローデシアの間に横たわるベチュアナランドである。ローズとしても安価な鉱山労働者の供給源であるボツワナとの直接的な紛争は避けたかった。そこで、イギリス本国に対し、ベチュアナランドをローズの支配下に置くことを提案した。ローズがベチュアナランドを支配すれば、アフリカ南部におけるイギリスの権益が確実になるというのが理由である。

1894年、イギリスがローズの提案を受け入れる計画が明らかになると、翌年、カーマ3世、クウェナの首長セベレ、ングワケツェの首長バトエンの三人が直接イギリス本国に抗議のため渡航する。政府はもちろん、国教会や当時ようやく運動となっていたアフリカ人の土地所有を認めることを主張する団体を訪れ、影響を与えることに成功。ローズにベチュアナランドの権利は与えられなかった。しかし、東部ベチュアナランドのごく細長い土地がローズのイギリス南アフリカ会社に譲渡されたため、鉄道自体の建設は進められた。 同年、ドラケンスバーグ山脈の高峰コンパス山の北100kmに位置するド・アールからダイヤモンド採掘の中心地キンバリー、プレトリアの東200kmに広がるマフェキンを経由し現在ではジンバブエ第2の都市に成長したブラワヨに至る鉄道が完成、1897年には東海岸のベイラ港へ向かう鉄道と接続した。

ベチュアナランドの併合
イギリスは一時的に後退したものの、ベチュアナランドを放置するつもりもなかった。時期を見てケープ植民地に併合する計画であった。しかし1910年にアフリカーナーが南アフリカ連邦を形成、同年ベチュアナランドを一方的に併合してしまう。カーマ3世と他の首長は再度イギリスに保護を要請した。当時すでに南アフリカ連邦内でアフリカ人の諸権利を制限、剥奪する法律が続々と制定されていることに気づいていたからだ。結局イギリスはアフリカーナー側から何度交渉を持ちかけられても南アフリカ連邦によるベチュアナランドの併合を認めなかった。

しかし、ここに至ってもイギリスはベチュアナランドにおける植民地経営には関心がなかった。ローズが建設した1本の鉄道を使うだけで、ベチュアナランド内部を相互接続する鉄道、道路の整備には関心がなかった。ローズが引いた鉄道の営業キロ数の推移を見ると、当初634kmだった鉄道は1921年に管轄がローデシアからベチュアナランドに移管された時点で全く延びていない。1966年に独立した当時も同じ営業キロ数である。イギリスは産業の育成、教育や医療の普及にはまったく取り組まず、植民地政府すら置いていない。1891年から1963年までイギリス高等弁務官は南アフリカのマフェキンに留まったままだった。イギリスは都市も建設していない。現在のボツワナの首都ハボローネは1880年代にソト人トゥロクワ族の村として始まった。たまたまローズの鉄道が4km西を通過し、駅が置かれたため、1962年には人口が4000人まで増えてはいた。しかし、鉄道駅以外の社会的インフラは備わっていない。水が豊かであったこと、他にめぼしい都市がなかったことから1963年に将来の首都として選ばれている。結局のところ、イギリスの保護領ベチュアナランドに対する視点は安価な労働力の供給源というものに過ぎなかったのだ。

1910年当時人口10万人を上回っていたアフリカ南部の都市は、南アフリカのケープタウンとヨハネスブルグだけであった。ヨハネスブルグは現在に至るまで鉱山都市である。鉱業を成立させるためには多大な資本投資が必要であり、多量の労働者を用いるため、人件費もかさむ。イギリスは蒸気機関、電力設備などの導入を控え、税金の支払いのためだけにベチュアナランドから働きに出てきたツワナ人労働者を酷使した。ベチュアナランド内に産業はなく、ヨハネバーグまでは国境から200kmしか離れていない。労働者を運ぶ鉄道もある。ツワナ人に支払う人件費は大半が税金として還流するため、結局、資本を少量投下するだけで貴重な鉱石を入手できることになる。力で押すだけ、ツワナ人を使いつぶすだけのアフリカーナーと比較すると、いったん現金を支払うことでツワナ人の不満をそらしており、巧妙で長続きする支配体制と言えよう。

アフリカの植民地化の結果(第一次世界大戦の直前)
第一次世界大戦
アフリカ南部は第一次世界大戦の戦場とはならなかった。ベチュアナランドの兵士はイギリス人とともにドイツ人と戦いはしたが、ベチュアナランド側では戦闘が起こっていない。しかし、ドイツなどの同盟国側に資源が渡らないようにするため、イギリスによる独占的な貿易体制が強化された。ようやく出現し始めていたアフリカ商人は権利を取り上げられ、植民地内のアフリカ資本の萌芽はつぶされた。

ボツワナにとっては西に接するドイツの植民地の動向が暗示的であった。第一次大戦が終了した1915年、成立したばかりのイギリス自治領南アフリカ連邦軍がナミビアに侵攻し、占領、1920年には占領行為が追認されて南アフリカ連邦の委任統治地域となった。ツワナ人はもはやヨーロッパ人同士の争いを利用することができなくなった。逆にアフリカーナーか彼らと協調する白人国家に包囲されてしまう。

イギリスの政策は国際世論の影響を受けやすいため、第一次世界大戦後は支配するだけではなく、少なくとも現地のアフリカ人の意見を集約する常設機関を置くことになった。1919年には現地人審議会が設置され、イギリス高等弁務官に対し、ツワナ人の問題を勧告することになった。当初はベチュアナランド南東部の首長と貴族だけが参加していたが、1931年にはタワナが、1940年には最大のングワトも代表を送った。このときングワトから派遣されたのがツェケディ・カーマである。彼は独立後のボツワナ初代大統領セレッツェ・カーマの叔父である。現地人審議会の最大の主張は南アフリカ連邦との併合を阻止することであった。南アフリカ共和国は1934年にイギリス連邦内で独立しており、すでのイギリスの直接のコントロールが及ばない状態になっていたからだ。南アフリカ共和国は鉱業から工業へ産業の中心を計画的に移行させてゆく。

第二次世界大戦
第二次世界大戦が始まると、ベチュアナランドの成人男性の5割がイギリスに従い兵役に付いた。最年少は15歳、上限は44歳である。歩兵は北アフリカや中東に派遣され、イタリア戦線にも参加した。砲兵も編成され、枢軸国の航空機を高射砲で撃墜したものもいたという。ツワナの首長も一族を代表して外国で戦った。

ツワナ人の意識は第二次世界大戦後、最初に独立を果たしたサハラ以南の国家、エンクルマの率いるゴールド・コースト(ガーナ)と同様の変化を受けた。一族の地位と年貢を維持することに汲々としていた首長と貴族、税金の支払いだけのために働いていた平民のツワナ人のいずれもが、海外での経験を忘れなかった。このままではいずれアフリカーナーの支配下に入ることは明白であり、自らの領域を自らが治めるしか、生きる道がない。貴族と平民は協調し、自治を勝ち取ることを第一の目標とした。

第二次世界大戦は、ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国の力関係を完全に逆転させた。1945年時点で、全世界の生産力の5割、輸出の3割を占めたほか、金(きん)の7割、海外投資の8割弱をアメリカ合衆国1国が保有していた。一方、ヨーロッパ諸国はたとえ連合国の一員であったとしても生産設備に甚大な被害を受けており、購買力はなく、アメリカに対する多大な債務を抱えていた。ヨーロッパが立ち直るために何が役立つだろうか。アフリカである。地中海沿岸を除けば、ドイツの攻撃をほとんど受けておらず、生産設備、労働力とも温存されていたからである。交易の際に貴重なドルが必要ないことも大きい。

イギリスは最大の植民地であるインドに頼れなくなっていた。第一次世界大戦参戦時に約束していた独立の約束を反故にした結果、民族運動が高揚していたためである。インドは第二次世界大戦終結後、2年で独立してしまった。こうなると、イギリスにとって南部アフリカの鉱物資源がどうしても必要になる。アフリカに対する搾取が再開された。

しかし、イギリスは第二次世界大戦開戦初期にアメリカ合衆国と結んだ大西洋憲章の解釈の違いも覚えていた。第3条にある「政府形態を選択する人民の権利」をアメリカ合衆国側は全世界に適用されるべきもの、イギリス側はヨーロッパに限定されるものと主張していた。イギリスとしてもアフリカの植民地に頼り続けることは不可能だと想定しており、まず、イギリスに協力的な権力層を人為的に形成し、間接的に独立国を支配する「新植民地主義」に移行することを考えていた。当時の想定だと20世紀中は旧型の植民地経営が可能だと考えられていた。一方、アメリカ合衆国とソビエト連邦は早急な植民地解消を主張しており、結局は、イギリス側の「準備」が整わないまま独立した国も多かった。

南アフリカ共和国はツワナ人の変化、イギリスの政策転換のいずれとも無関係に人種差別政策を強化していく。独立当初は比較的穏健な連合党が権力の座にあったが、1948年の第二次世界大戦後初の総選挙でアフリカーナーが押す国民党が過半数を超える第1党となったからだ。結局国民党は1994年にネルソン・マンデラが大統領として選ばれる直前まで常に第1党に留まり続けた。国民党は選挙に勝利すると、即座にアパルトヘイト体制を確立し、翌1949年には将来の独立を約束していたはずのナミビアを一方的に領土に編入している。

ツワナ人政党の結成
ボツワナ独立の最大の功労者は1921年生まれのセレッツェ・カーマである。カーマ3世の孫であり、生まれながらにングワトの首長の後継者であった。見聞を広めるため、まず南アフリカ共和国で、次にイギリス本国で教育を受けた。1948年、カーマはイギリス人女性と結婚する。1949年にベチュアナランドに帰国すると王位を継承する手はずになっていたが、異人種間の結婚を認めない周囲のアパルトヘイト国家が介入をほのめかし始めた。貴族集団や叔父にも反対されてしまう。イギリス政府はセレッツェ・カーマと叔父のツェケディ・カーマの対立から王位継承者のセレッツェ・カーマをイギリス本国に呼びだし、王位をあきらめない限り帰国を許さなかった。イギリスはアパルトヘイト国家群への影響力が低下することだけを心配していた。セレッツェ・カーマが帰国できないことが分かると、ングワトの植民地政府に対する態度が硬化し始めた。1956年に至りセレッツェ・カーマ自ら王位の継承よりも自治確立を優先し、王位をあきらめ、帰国した。

同年、ングワト議会の副議長に就任、1962年にはベチュアナランド民主党、後のボツワナ民主党を結成した。ただし、セレッツェ・カーマの帰国以前にツワナ人の政党活動は始まっている。ヨハネスブルグの聖職者であったフィリップ・G・マタンテとマラウイの教師K・T・モツェテは1960年にベチュアナランド人民党、後のボツワナ人民党を結成していた。ベチュワナランド人民党は急進的であり、白人入植者の追放、首長を中心とする伝統的政治体制の打破、憲法制定を主張していた。

カーマのボツワナ民主党は当初ングワトの政党であったが、穏健な政策が共感を呼び、全国的な支持を集めた。カーマはヨーロッパに対する反感を頻繁ではなかったが表明することがあった。南アフリカ共和国への併合を恐れた人々はカーマの姿勢を評価した。ベチュアナランドの白人入植者は消極的ではあったがボツワナ民主党を支持した。肝心のイギリスもカーマならコントロールできると考えた。1963年、イギリスはペチュアナランド独立の予定を公開、1964年にはベチュアナランドの選挙人を登録した。1965年、ベチュアナランド最初の議会選挙が実施された。カーマの評判はよく、彼のボツワナ民主党は8割の票を集め、議会の定員31議席中28議席をしめた。カーマはベチュアナランド最初で最後の首相となり、独立に向け準備を整えていった

2009年01月23日

歴史改変SF

歴史改変SF(れきしかいへんエスエフ)は、思弁小説(あるいはサイエンス・フィクション)と歴史小説のサブジャンルであり、実際の歴史とは異なる歴史の経過を経た世界を描くものである。いわゆる「クレオパトラの鼻が低かったら歴史が変わっていた」というような歴史上の「もし」に答を与える文学である。多くの作品は実際の史実に基づき、その上で我々の歴史とは異なる発展をした社会や政治や産業の状況を描くことを特徴とする。一般にフィクションは現実ではないという意味ではどの小説にも「歴史改変」的要素があるが、サブジャンルとしての歴史改変SFは、我々の歴史と異なる経過をたどる原因になった歴史上の分岐点が存在することを特徴とする[1]。

1950年代以降、この種の小説はSF的小道具と結びつき、時空を移動することで世界間を行き来したり、超能力で別の世界があることに気づく、あるいは単に時間旅行したために歴史が分岐してしまうといった設定が多くなっていった。これらは密接に絡み合い、それぞれを完全に別個に議論することは不可能である。
ドバイ こぼれ ジェネ 月姫 キョウチ プイン プリプラ ハンドミキ キオス ストック スイートピ バランサー キクイン パンフ モカシン フィズ クォリティ そうめい ジンフ トップ デフォル きょくひ サーチナビム 村雨国内 ジンジャ 東へ西へ マルデ まっかり きうい ハナニ プラナ アプレッ ディスコ コック プルラン カイト ネイビー お手玉 とちひめ フォッグ ピョンヤン 金魚草 ヨーロッパ デコバギー ジャンク ノキオ ニューハフ デントデー ドール よもぎ

英語では、alternate history の他に alternative history という呼称もある[2]。フランス語では、歴史改変を uchronie という新語で呼ぶ。これは、ユートピア(ありえない場所)などと同じ u- とギリシア語で時間を表す chronos を組み合わせたものである。したがって、uchronie とは「ありえない時」を意味する。他にも "allohistory"(他の歴史)という呼び方もある
史上最も古い歴史改変の作品の1つとして、ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』の Book IX, sections 17–19 がある。そこでリウィウスはアレクサンドロス大王が東ではなく西に帝国を拡張しようとした紀元前4世紀の世界を深く論じている。リウィウスは「アレクサンドロスとの戦争に突入していたら、ローマはどうなっていただろうか?」と問題提起している[4][5][6]。

1490年の叙事詩的騎士道物語 "Tirant lo Blanc" は、コンスタンティノープルがトルコ人に奪われたことが記憶に新しいヨーロッパで書かれたもので、ブルターニュの勇敢な騎士 Tirant The White が東ローマ帝国に駆けつけ、メフメト2世率いるオスマン帝国軍を撃退し、コンスタンティノープルを征服から救い、逆にオスマン帝国から領土を奪うという話であった。

19世紀
歴史改変の最初期の作品のひとつとして、フランスのルイ・ジョフロワ(Louis Geoffroy)の Histoire de la Monarchie universelle: Napoléon et la conquête du monde (1812-1832) がある。これはナポレオン・ボナパルトが1812年ロシア戦役に勝利した世界で、1814年にはイングランドを侵略し、最終的に全世界を征服するまでを描いている[5]。

英語での最初の完全な歴史改変作品としては、ナサニエル・ホーソーンの1845年の短編小説 "P.'s Correspondence" がある。それは現実とは全く異なる1845年を見たために「狂人」と見なされた男の話で、その別の現実では既に死んだはずの有名人(バーンズ、バイロン、シェリー、キーツといった詩人、俳優のエドマンド・キーン、政治家のジョージ・カニング、さらにはナポレオン・ボナパルト)が生きている。

英語での最初の歴史改変の長編小説は Castello Holford の Aristopica(1895年)である。Louis Geoffroy の Napoléon et la conquête du monde, 1812–1823 ほど国粋主義的ではないが、Astropica はバージニアの初期の植民者が金の高純度の鉱脈を発見し、北アメリカにユートピア的社会を築く話である。

20世紀前半: パルプ雑誌の時代
19世紀末から20世紀初期には、いくつかの歴史改変小説が登場している(例えば、Charles Petrie の1926年の If: A Jacobite Fantasy)[7]。1931年、イギリスの歴史家サー・ジョン・スクワイア(Sir John Squire)は当時の有名な歴史家のエッセイを集めたアンソロジー If It Had Happened Otherwise を編んだ。この中で、それぞれの歴史研究者が例えば「もしスペインでムーア人が勝っていたら」とか「もしルイ16世がもう少し毅然としていたら」といった問題に答えている。非常に真面目な論文もあれば、ヘンドリック・ウィレム・ファン・ローン(Hendrik Willem van Loon)のようにマンハッタンがオランダ人の都市国家として独立した世界の空想にふけっているものまで様々である。他の著者としては、Hilaire Belloc、アンドレ・モーロワ、ウィンストン・チャーチルなどがいた。

歴史改変で人気のあるテーマは、欧米では「ナポレオンの勝利」と南北戦争である。スクワイアのアンソロジーで、チャーチルは「もしリーがゲティスバーグの戦いに勝利していなかったら」という問題に対して、アメリカ連合国が勝利した世界の歴史家の立場から南北戦争を考察し、北軍が勝っていたらどうなっていたかを論じた(言い換えれば、ありうべきもう1つの世界の人間が我々のいる現実の世界を想像するという形式で書いている。ただし、その想像が全て当たっているとは限らない)[8]。

同時期の歴史改変作品の例として(パラレルワールド間の移動を扱った初の小説でもあるが)、H・G・ウェルズの『神々のような人々』(1923年)がある。この中で主人公たちは時空を移動できる機械に遭遇して、一見して平和なユートピアと思われるイギリスに到着する[9]。ウェルズが描いたのは多元宇宙論的なパラレルワールドであり、後にアメリカのパルプ雑誌でよく使われる設定になった。

1930年代になると歴史改変小説はさらに新たな段階に至った。1933年12月の「アスタウンディング」誌で Nat Schachner の "Ancestral Voices" が掲載され、すぐにマレイ・ラインスターの『時の脇道』 "Sidewise in Time" が続いた。それまでの歴史改変小説が比較的単純な歴史の分岐を扱っていたのに対して、ラインスターは全く異なる試みを行った。彼が描いたのは、年表がつぎはぎになった発狂した世界(20世紀にローマ帝国の軍隊やバイキングが現れる世界)であった。

2009年01月16日

エル・ドラード(スペイン語:El Dorado)

エル・ドラード(スペイン語:El Dorado)とは、16世紀頃まで南米アンデス地方に存在したチブチャ文化(ムイスカ文化)で「黄金の人」を意味する。あるいは、大航海時代にスペインに伝わったアンデスの奥地に存在するとされた黄金郷の伝説を指す。正式には、エル・オンブレ・ドラド。

南米アンデス地方では金の採掘と装飾技術が発達し、コロンビアのグァタピタ湖ではその土地の首長が全身に金粉を塗り儀式を行う風習をもっていた。ここから「黄金の人」を意味するエル・ドラードの言葉が生まれたとされる。

最後に儀式が行われたのは、16世紀初頭だったが、伝説は三百年間もヨーロッパ人の間を彷徨った。18世紀後半まで世界地図に描かれ、それは実在すると信じられた。しかし19世紀初頭、アレクサンダー・フォン・フンボルトによってアンデス・アマゾンは踏破され、地図上からは消え去られた。ヨーロッパ人が想定したエル・ドラードはなかったが、コロンビアには、前述のチブチャ以外にもかつてはキンバヤ文化、タイロナ文化、シヌー文化が繁栄し、ペルーではチャビン文化を継承した北海岸のモチェ文化、シカン王国、チムー王国にみごとな金製品ないし金と銅、錫の合金であるトゥンバガ製品を生み出した技術が存在していたことが明らかになっている。

チムー王国(‐おうこく、Chimú)はペルー北部の沿岸部でチムー文化を担った王国であり、850年頃から1470年頃に存在した。中世後期(プレ・インカ)最大の王国で、1000kmの海岸線とアンデスの人口の2/3を含んだ。現存する最大の遺跡はチャン・チャン。

チムー王国はモチェ文化の遺民によって興された。最初の谷々が喜んで武力を合わせていたようだったが、シカンを征服した。カハマルカ文化とワリ文化の影響を大きく受けていた。伝説によれば、首都チャン・チャンは海からやってきたタカイナモという人物によって創られたという。

チムーはインカ帝国を止めるチャンスがあった最後の王国だった。しかしトゥパック・インカによるインカの侵攻が1470年代に始まり、タカイナモの子孫である国王ミンチャンカマンは敗れ、ワイナ・カパックの即位した1493年には侵略はほぼ終了していた。

チムーの陶器は漆黒だった。また、精巧複雑な金工でも知られ、先コロンブス期で最先端技術の一つだった。
ダイバ いそべ シーアル ミュート メドレー チェンジ プロミ らんぶー キンシ トラッ ライター リモート サモエー セーブル マットレス ピナツボ ママ 大莢種 ゾーン デーモン ラミネート かむかむ ユー わらび リュージュ ネーション ターバン プリス ザック ドラドン リロート かみのく トーク フェナ メンター マトン ステビア リペア スナップ ツイスト ズー シング おにぎり デタント ほくとし ファイ マダム セオリ フィット マガダ

ワイナ・カパック(英:Huayna Capac、ケチュア語:Wayna Qhapaq=すばらしい若者、?-1527年、在位1493年-1527年)は、インカ帝国の11代サパ・インカ(皇帝)(上王朝6代目)である。父は10代インカ皇帝トゥパック・インカ・ユパンキ、母は現エクアドル南部のカニャーリ族の女と言われている。インカ皇族は通常兄と妹による近親結婚によって生まれた一族であり、最も有力な後継者候補は、この近親結婚により産まれた皇子になるが、父帝の正妻に皇子がなく、側室の子ながら父の後を継ぎ即位したと言われている。王妃はラワ・オクリョ。子にニナン・クヨチ、12代ワスカル、13代アタワルパ、14代トゥパック・ワルパ、15代マンコ・インカ・ユパンキ、パウリュ・トゥパック・ユパンキがいる。

ワイナ・カパックはインカ帝国(タワンティンスウユ)を、南部では現チリ・アルゼンチンにまで広げ、北部では、現エクアドル・コロンビア南部となっているチンチャ・スウユを併合するため、何年間も戦った。彼の時代、インカ帝国は現在のコロンビア南部からチリ北部に渡る最大版図を有することとなった。遥か南には帝国の首都としてクスコがあったが、彼はキトを北部の要塞都市として確立することを望んだ。しかし彼自身はキトでなくトメバンバ(現クエンカ (エクアドル)市)を本拠地として、そこに壮麗な宮殿を建設したとする見解も存在する。

1527年頃に、彼と彼の軍のうち数千人に及ぶ者は、現コロンビア南部で天然痘かマラリアと推定されている病気に罹り、皇太子のニナン・クヨチとほぼ同時期に死亡した。ワスカルは、ニナン・クヨチの死を聞いたとき、既に自らが即位するために活動を開始しており、クスコでいち早く権力を掌握、異母兄弟であるアタワルパを捕らえた。アタワルパはキトに幽閉されたが少女の助けにより脱走し、キトに駐留していたチャルクチマ、キスキス両将軍と合流した。彼は兵を集め、チンボラソの戦いでワスカルを破った。キペペの戦いを以て内戦は終結し、ワスカルは武装解除されハウハに捕らえられた。アタワルパは皇位請求のためキトを出発し、ワマチューコでインカ皇帝を名乗るとクスコに南下する途中で、8万人に及ぶ兵と共にアンデス山中のカハマルカへ立ち寄った。

中米での手法と同様の詐略を用い、スペイン人のコンキスタドールであるフランシスコ・ピサロは、アタワルパを捕らえた。皇帝が捕らえられた後の将軍達の一連の過失が帝国の急速な没落につながったと考えられている。